1. 第二創業のイノベーター
受け継いだ事業や業界の常識に、自身の想いを掛け合わせ、新たな価値を創造する変革者たちの物語。


「美術館にお客さんが誰も来ない日のほうが多いんです」— 迷いながら歩む、対話が生み出す小さな奇跡
営業赤字6000万円から始まった、ある問いかけ 2010年、リーマンショックの翌年。富山県高岡市にある町工場、株式会社フジタの社長になったばかりの梶川貴子さんは、一つの大きな問いを抱えていました。 「今やってる仕事を今後10年続けられるのかな?」...
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立ち仕事を変えるアルケリス〜藤澤さんの探求の物語
あのリーマンショックから15年。一人の町工場の二代目社長が歩んできた道のりは、私たちに「変化の時代をどう生き抜くか」という問いを投げかけてくれます。 迷いの中からはじまった挑戦 2012年。リーマンショックの影響がまだ色濃く残る中、神奈川県横浜市にある町工場・株式会社ニットーの二代目社長、藤澤秀行さんは迷いの中にいました。 「何かやりたいけど何をしていいか分かんない」 当時を振り返って語られたこの言葉からは、変化の時代に立ち向かおうとする製造業者たちの等身大の想いが伝わってきます。私たちも同じような想いを抱いた経験があるのではないでしょうか? そんな時、一つの出会いがありました。SNSを通じて知った「おばかモノづくり祭」への参加。そこから生まれたのが、後に大ブレークする「ヌンチャク系iPhoneケース」でした。 医師の一言から生まれた革新 ヌンチャク系iPhoneケースの成功後、藤澤さんの探求は新たな領域へと向かいます。それが、現在のアルケリス株式会社の核となる製品「アルケリス」の原点でした。 きっかけは、千葉大学の医師からの一言でした。...
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「板金屋」から抜け出せない—葛藤を抱えた経営者が見つけた、自分だけの道
メーカーになりたい。でも、どうすれば? 「板金屋という営みから、メーカーになりたい」 株式会社ヒラミヤの代表取締役、平宮健美さんは、創業40年の板金・金属加工工場を営む二代目経営者だった。空気清浄機の開発に取り組んだり、デザインフォーラムに足を運んだりしながら、自社商品を作りたいという想いを抱き続けていた。 だが、経営側になりながらも「経営のことをよく分かっていない」という不安があった。モノづくりの現場は熟知していても、これからどう進むべきか、自分の軸が見えない。そんなもやもやを抱えていた2015年、平宮さんはzenschoolの門を叩いた。 「想像もしていなかったもの」が出てきた 初日は、正直「良くなかった」と振り返る。自分の足りない部分が露呈した。「元々根暗なもので、結構自分でがっかりしていく」—そんな瞬間もあった。 しかし、プログラムを通じて、想像もしていなかった発見があった。 「生まれながらに自分が持っているものを本当に引き出せた」 「どうあるべきかという自分の1つの柱、物事の取り組みに対してのブレないものに気づかせてもらった」...
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「社長はこうあるべき」という呪縛から解放された、町工場経営者の静かな革命
「このままでいいのか?」 昭和な社長室で抱えた深いもやもや 岐阜県関市で金属加工業を営む早川工業。代表取締役の大野雅孝さんは、2009年に社長に就任してから長い間、ある「呪縛」に苦しんでいました。 「社長ってこうだろうっていう見本みたいな方が多いですし、そういうところに相談...
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「何しに来たんですか?」と問われ続けた16日間
製造業の枠にとらわれない東大阪の町工場社長の物語 「もう1つよく分からなかったですね。」 2012年、enmonoの三木さんの講演を初めて聞いた大熊重之さんの率直な感想でした。株式会社オークマ工塗の代表として塗装業を営む大熊さんは、ずっと一つの憧れを抱いていました。それは「...
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後継者が筋トレグッズで切り拓いた、町工場の新たな道
「このまま、注文を待ち続けるしかないのか——」 千葉県で精密機械加工を手がける光精工の専務取締役、秋山大輔さんは、激減する受注を前に、答えの見えない日々を過ごしていました。1964年創業、積み重ねてきた技術への誇りはある。でも、状況は良くならない。社内改善をしながら、ただ電...
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小林輝之さんの物語:不安の先に見つけた「みんなで咲く場所」
歩んできた道のりに、無駄はない 福井県坂井市の住宅街。そこに佇む長田工業所の工場は、一見すると他の町工場と何も変わらない。しかし2階に上がると、そこには「アイアンプラネット」という別世界が広がっている。青い溶接の炎、鉄と鉄が出会う音、そして職人さんたちの手から生まれる作品の...
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